様式と転成

Words without thoughts never to heaven go.

下野竜也&新日フィル:ブルックナー交響曲第6番@すみだトリフォニーホール

 

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photo by ch.weidinger

   

 ひさしぶりにコンサートを愉しむ日曜の午後。嵐が迫っているらしく、何やら空は聊か忙しそうにしていたが、わたしは鳥の気持ちも知らないでのほほんとその時を待っていた。総武線、錦糸町。ここに最後に来たのはいつだったか、はっきりとは思い出せない。そのくらいすみだトリフォニ―ホールとは暫くご無沙汰にしていた。当日券を選び終えて、いつも通り近所のカフェで開場を待つ。

 

 秋の日のヴヰオロンの

 

 シューマンのチェロコンチェルトから。ソリストは、イタリア生まれのルイジ・ピオヴァノ。わたしはこの曲にはたとえばデュプレの遺したようなパッショネートなイメージを持っていたが、ピオヴァノの紡いだのは全く異なる静穏な青白い情熱。やさしく撫でるように、決して荒々しくならない。たしかに巧いなアとは感じるが、いつも聴いているように涙を流すようなことはない。なめらか過ぎて印象も薄くなってしまった感が否めない。しかしながら、アンコールで一気に心を衝かれて仕舞った。あれはズルいよ、あれ聴かされたら悪く言えない。

 

 清らかさよ、こんにちは。

 

 いよいよブルックナーの第六交響曲ブルックナー交響曲の中でも、7番と5番に挟まれて幾らか存在感が薄いかも知れない。けれども、この六番のアダージョはとてつもなく美しい。知る人ぞ知る、ブルックナーの名曲である。下野氏の指揮する新日フィルで聴くということで、期待は膨らんでいた。ものすごく生き生きとした演奏だった。暴力的なくらいに荒々しいかと思えば、時には天の香りするほどのびやかで、その絶妙なバランスを保って華麗な音楽がホールにひびき渡っていた。さて、何よりも緩徐楽章である。本当にうつくしい楽想で、冒頭のオーボエの主題が聴こえて来ると、心がぐツと揺れて涙が溢れた。圧倒的な美につつまれて、わたしは茫然とする外に何一つ出来なかった。

 

Symphony No. 6 in A Major, WAB 106: II. Adagio. Sehr feierlich

Symphony No. 6 in A Major, WAB 106: II. Adagio. Sehr feierlich

  • Gunter Wand & Deutsches Symphonie-Orchester Berlin
  • Classical

    

 それにしてもブルックナーというのは世間的にはそれほどの人気を博していないものなのだろうか。チケットが完売するようなことは極めて少ないと感じる。二年前のエッシェンバッハ指揮ウィーンフィルの四番というセットでも直前まで完売していなかったと思う。ここのところ後期ロマン派というとどちらかといえばマーラーが扱われているのかも知れない。いや、マーラーもとても難しい楽曲でなかなか聴き慣れないものであるが、ブルックナーは、あの特有の焦らすような永さで聴衆を辟易とさせてしまうところがあるのかも知れない。マーラーは比較的そういうシーンは少ない。六番を聴いていても、そういうことを何となく思うことがあった。でも、それと同時に、ブルックナーの音楽に最もよく表現されているあの「崇高」な精神の進行を聴いているのがわたしは堪らなく好きであると再確認した。ところで、プログラム・ノーツにあった次の文がとても印象に残っている。 

 

 過去や未来とも出会いながら、私たちは音楽固有の時間と空間の中を歩き、ともに歌い、ともに生きる。音楽を聴くことは、彼らが夢みた永遠を、私たちの経験としてともに生きる営みに他ならない。それは何度でも私たちを抱き、そして突き放す。それでも、物語は続いていく。私たち自身の人生は作品の外にまだ広がっている。

 

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