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Project KALAVINKA

日常に眠っている「美」を千切り取ってゆく

ノリントン指揮N響:モーツァルト交響曲第38番『プラハ』@Bunkamuraオーチャードホール

 

http://www.flickr.com/photos/68059461@N00/4117464947

photo by jonnystell

 

 朝のひかりの様な、瑞々しくうつくしいコンサートだった。こころ躍る愉しさ、この感覚を与えてくれた彼らに感謝したい。二日つづけてのコンサートとなったが行って本当に好かった。ブルックナーの6番を聴いて、つめたい風の吹く朝を迎えた。そのときは未だこのコンサートに行こうと決めていなかった。のんびり一日を過ごそうと思っていた。けれども、朝のつめたさが僕に諭したのだった、しなやかな木漏れ日のありがたさを。すると、ふつと渋谷で予定されているモーツァルトのコンサートが脳裏に浮かんで来た。その後の顛末は何一つ書き記す必要がないだろう。迷うことなく、わたしは道玄坂を駈け上がった。

 

  

 ヴァイオリンの神秘

 

 始まって第一に驚いたのはオーケストラの配置。馬蹄型にシンメトリーになっていた。さて、印象に残っているのはパリ交響曲の後に現れた木嶋真優。ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」、うわあスゴイきれいと、高く澄んだ音が途方もなくうつくしくてため息が出た。ヴァイオリンという楽器の紡ぐ「美」を思い知らされた。オーチャードで幾度となくヴァイオリンコンチェルトを聴いて来たけれど、間違いなくトップクラスの清澄な音質。やさしく、それでいて突き抜けるようなひかりが、ヴァイオリンから溢れているようだった。今でも、あのメロディーの光彩をはツきりと想い出すことができる。わたしはシベリウスとか聴いてみたいなアと思うが、いずれにせよいつかまた必ず聴きに行きたいソリストである。

 

 

 モーツァルトのやわらかさ

 

 そしてプラハ交響曲ノリントンN響のコンビネーションが遺憾なく発揮されていた。モーツァルトは、その楽曲の特性から言って聴いていて涙するというようなタイプの作曲家ではない。チャイコフスキーとは対極的で、もっと純粋に遊ぶように音楽を創っているところがある。そして、今日のコンサートでは正にそうしたモーツァルトらしさが冴え渡っていたと思う。ノンヴィブラート奏法も効果的で聴いていてとても心地が好い。最終楽章のプレストなどは本当にわくわくする演奏で、美しさと楽しさが結婚したようだった。そこには、常にやわらかな光りが充ちていたように感じる。そしてそのひかりは時に清冽に時に清和に、聴衆を魅惑するのであった。ノリントンの人柄と相俟って、モーツァルト交響曲は舞台上で生き生きと飛び跳ねていた。そしてアンコールで、『フィガロの結婚』序曲である。あつと言う間に涙が滲んでしまった。完全に不意を衝かれた形である。モーツァルトだから泣かないで済んでいたのに、ここでフィガロとはね。プラハ繋がりか、もういやになるくらい巧い演出でしたよ。歓びとなみだが恋をする場面で、幕が閉じられた。

   

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