Project KALAVINKA

日常に眠っている「美」を千切り取ってゆく

ネルソンス指揮バーミンガム市響:ドヴォルザーク交響曲第9番『新世界』@オペラシティホール

 

http://www.flickr.com/photos/71390469@N05/12154738144

photo by Clément Belleudy

 

 オペラシティに行くとなると、京王新線を使うことになる。わたしの場合、新宿駅でJRから乗り換えることになるので、随分グルグルと移動する破目になる。いつも、何でもう少し行きやすいところにないのだろうと惜しんでいるが、その度に感動を胸にして帰って来るので、結果的にいつかまたあのエスカレーターを通ることになるのだろう。アンドリス・ネルソンス指揮バーミンガム市響。はじめて聴く。ネルソンスは前からずっと聴いてみたいと思っていた。ベルリンフィルとの演奏がいくつかYouTubeに上がっているが、どれも素晴らしい。あの歌唱性溢れる指揮は、現代に於いて珍しい部類に入るだろうか。ワーグナーとかシュトラウスとか聴いてみたいなアとよく思うものだった。その募る想いが今宵漸く、叶ったのであった。

 

 

 ワーグナーとドヴォルザークに揺れる

 

 さて、プログラムの、ようするに彼らの来日公演のはじまりとなる要所に、『ローエングリン』である。あの静謐な印象を表現するのに、ネルソンスは意外とそこまで神妙に響かせることはなかった。というよりも、オーケストラの持つ力を無理なく発揮させているようだった。ものすごく澄んでいる訳でもないが、それでも腰の低いオーケストラであることはすぐに伝わり、その上でネルソンスが思う存分歌わせていることが分かると、ふつと安心して聴いていられた。楽曲そのものが一つの揺籃となってオープニングを彩っているかのようだった。曲が終わったときに聴衆を掴んだ一瞬の静寂からしても、それは歴然としていた。わたしはこの時もう既に、ネルソンスとバーミンガム市響の術中に嵌っていたのだろう。

 

 

 途中コンチェルトを挟んで、ドヴォルザークに雪崩れ込んでいく。こちらは、打って変わって途轍もなく堂堂たる演奏であった。とにかく生気が漲っていて、もう欣喜雀躍の心地である。何度笑みが零れて仕舞ったのか思い出すことなど出来ない。音楽の持つ楽しさと云うものをここまで豊かに伝えてくれる指揮を体験していることに感謝することすら忘れ、わたしはただ茫然とその一刻一刻を味わいつづけるのだった。ネルソンスの指揮は、圧倒的なまでに歌い踊ろうとする。それは矢張り、五歳の時に影響を受けたというタンホイザーに込められているようなある種デュオニソス的な陶酔の意志とも言えようものだろう。しかしながら、ネルソンスの陶酔は酔い潰れることが決してない。常にある一定の覚醒を保ちつつ、あくまで朗らかにうららかな春に遊ぶように、駈けては飛び跳ねて、踊ったり転んだりを繰り返す。動的と云うかエネルギッシュと云うか、生命力を楽譜に吹き込んでいるようで聴いていて何だか無性に嬉しくなるのである。

 

 

 技巧と陶酔

 

 ヒラリー・ハーンによるシベリウスの協奏曲。二曲目のこちらも素晴らしい演奏だった。何を隠そうその圧倒的な技量にはえツ?と驚くことも多い訳だが、それ以上にオーケストラとネルソンスの勢いのあるバックに負けず劣らずハーンも狂気に充ちていたから凄い。ヴァイオリンそのものが紡ぐことのできる線形、質感というものがのびやかでありながら均等に美しく響くのが聴いていて恐ろしいくらいであった。印象に残っているのは、第三楽章である。ロンドもあるからか知らないが、集中力を凝縮させて演奏しながらもリズムがある種の軽快さを失うことなく華麗に流れつづける。ふつうは、グつと力を入れて仕舞い過ぎて辛気臭くなったりメロディーが嗄れて仕舞ったりするものだが、ハーンの場合はそうした事態には全く陥らず、狂想の持つダイナミズムを清澄な音譜に難なく継ぎ合わせていた。ハイレベルなパフォーマンスに、わたしは呆気にとられる外なかった。さらに云うと、ここまで沸騰するような演奏をした後のアンコールでパルティータのようなああいう精妙で数学的なうつくしさを持つ曲をすんなりとこなして仕舞うので、もう歎称せんばかりの拍手を送るばかりである。

 

 愛らしく、朗らかに

 

 

 番外編でも何でもないが、ネルソンスの人柄があって今宵のコンサートは成り立っていたと思う。こういうことは実際にその場に居合わせたひとにしか分からないかもしれないが、ネルソンスというひとりの人間の持つ魅力が、音楽をよりうつくしいものに創り上げていたことは否定のしようのない事実だと思う。ツイッターでもつぶやいたことの繰り返しになるが、マイナーな作曲家の『憂鬱なワルツ』とかいうような曲をアンコールで演奏することを聴衆に挨拶を兼ねて説明する際、誰だか分からなくて「ごめんなさい」と言ってスコアを見直すから聴衆からワッと笑いが零れたり、新世界が終わった後には、コンマスに立って貰えず何度もひとりで拍手を受けつづけたりと、本当に心和むユーモラスなコンサートだった。

 

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