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Project KALAVINKA

日常に眠っている「美」を千切り取ってゆく

ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管:チャイコフスキー交響曲第6番『悲愴』@所沢ミューズアークホール

クラシック

 

http://www.flickr.com/photos/94595697@N00/18807885878

photo by Zemzina

 

 ゲルギエフがマリインスキー歌劇場を指揮するようになって、すでに四半世紀が経過している。前身のキーロフ歌劇場の頃から蜜月時代を続けてきた、世界的にも大変希少なコンビネーション。秋にしては幾らか寒い風の吹く日の午後、コンサートを聴いて感じたことはその圧倒的な合奏力だった。緊張も弛緩もなく、程良く温まった状態で変幻自在にメロディーが生まれてゆく。総じてクオリティーが高く、聴いていて違和感を抱くことがないので、音楽に精神を明け渡すことに躊躇しない。

 

 

 チャイコフスキー『悲愴』の神髄を味わう

 

 チャイコフスキー交響曲第6番『悲愴』はクラシック音楽の中でもひときわ有名な曲であり、日本でも度々コンサートプログラムに載ることがある。ワーグナーもそうだが、彼らの楽曲は演奏効果の高いものが多く、聴衆を感動に誘導する力がつよい。ベートーヴェンピアノソナタとは比べ物にならないほど、彼らのメロディーは魅惑的なひびきを持っている。だからこそ、チャイコフスキーのコンサートは技術的なレベルで疑問符がつくような演奏であっても、大抵の場合は得られた感動によって帳消しになっていることがよくある。

 

  

 しかしながら、今回ゲルギエフとマリインスキーが轟かせた『悲愴』は盤石な技術によって支えられていて、有無を言わさぬ美しさに溢れていた。私自身驚いたことだが、第一楽章序奏部のたった何小節かを聴いただけで、もう涙が滲んでいた。第三楽章でも、その祝祭的なスケルツォが、どことなく華々しい終末を予感しているような気がして図らずも涙して仕舞った。リズムやテンポからすれば愉快なテーマも感じられる楽章なので、顔はにこやかに緩んでいたが涙はどうしても溢れて来るのだった。

 

 

 そして愈々、最終楽章。もう何だか、何一つ考えたり思ったりすることができない儘にメロディーが心身に流れ込み、気がつくともうフィナーレまで来ていた。聴いて、脳髄で認識し、感動するのではなく、脊髄反射で感動しているかのようだった。「死」や「美」など様々な表象を意識することなく、響き渡る旋律の波に呑み込まれて、わたしはただ茫然と陶酔しているしかなかった。響きが儚げに消えていった最後、ホール全体に訪れた静寂と余韻が今でも愛おしい。

 

 トリフォノフ、天才的ピアニスト

 

 後半の『悲愴』の印象ばかりを語ってきたが、前半も想像を絶するものがあった。第一にゲルギエフとマリインスキーによる『ロメオとジュリエット』 。「モンタギュー家とキャピレット家」のあの重厚感は忘れられない。決して重苦しいような感はなく、華麗に流れつつも浮ついた軽い響きにならないところが素晴らしい。そして何より、チャイコフスキーのピアノコンチェルト1番で鮮烈な印象を残してくれたのがトリフォノフ。圧倒的な鋼のような勁さと第二楽章に代表されるような繊細なひかりのような柔らかさを兼ね備えていた。

 

 

   

 トリフォノフが弾きたいように全力でピアノに向かい、それをゲルギエフとオーケストラが後ろから包み込んでいた。とにかく桁外れのエネルギッシュな演奏に、圧倒された。それからもう一つ、彼はアンコールにも応えたくれたのだが、そこで弾いた曲がこれまた途轍もなかった。シュトラウスの「こうもり」序曲をピアノ用に編曲したものだったが、速くしなやかに流れてゆく旋律はどれも煌めいていた。後から聞いた話だが、FAZIOLIのピアノを使用していたらしい。恐らくそうない機会だろうから、今回は色々と有難いコンサートだった。

 

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