様式と転成

Words without thoughts never to heaven go.

川上弘美『水声』文藝春秋

 

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photo by aha42 | tehaha

 

 うつくしい装丁に誘われて書籍を選ぶようになったのはいつからだろう。小説は言葉が玉座につく世界。絵画や音楽とは次元と言うか、存在の意味が少し違う。その意味に於いて、装丁を以て書籍を判断するというのは些か可笑しい。人によっては、書籍に対する冒瀆とも感じられるかも知れない。だが、装丁によって素晴らしい小説と巡り合うということもある。今回私は、この小説へ招いてくれた装丁に何より感謝したい。

 

     

 川上弘美『水声』に込められたテーマはとても深く、広い。そのすべてを隈なく味わえたとは到底思えないが、少なくとも行を進めていけば一篇の言葉に託された世界観を垣間見ることはそう難しくない。ストーリーとしても顕かに扱われているテーマの一つは「家」。明治に遡る民法の精緻なシステム体系に組み込まれている「家」は、そもそも人工的なものに過ぎず、人間性を清々しく進展させていけば脆くも崩れ去る定めにある。こうした極めて現代的なコンテクストがストーリーの端々に感じられる。

 

水声

水声

 

 

 どうして「それ」を描くのか

 

 主人公の家庭は一般的な「家族」の範疇を逸脱している。また小説全体では60年代以降の社会に衝撃を与えた様々な死を回想しながら、最終的に東日本大震災で失われた海岸の家々の情景と、ずっと暮らして来た想い出深い実家の取り壊しに行き着く。「東京に戻ると、もう家はきれいに壊され、ただ平らな土地だけがあった」というフィナーレの描写は印象的である。さらには姉弟である「都」と「陵」の名からも、憚られるくらい怖ろしい想像ができてしまう。

 

 

 タイトルに掲げた言葉は、東北の被災地に赴いたシーンの一節で、水というのは恐らく命と結びつく。そして当然のことながら、いのちを想うというのは日々行うことではない。人はいのちというものを死を感じたときになって初めて顧みる。「陵」という名には字義的に死のイメージが付き纏っているが、事実彼はストーリーの中で他者の死に唐突に対することになり、それから彼の生き様は傾き始める。生と死、ここまでくると、この小説がみている風景が途方もなく広大なことが感じられるだろう。

 

 「不幸じゃないのに、ゆきどころがないの」

 

 これも小説の一節に過ぎないが、物語全体に通奏低音のようにひびき続けている言葉だと思う。時代性をひと言で表現していて大変共感できる。昭和というひとつの時代を身体的な感覚として持ち合わせている世代ではない私は、平成の世の幸福というものに物心ついた頃から浸かりつづけている。不幸だと言えば不幸だとも思える。平成の世代にとって不幸というのは、そういう観念的な言葉でしかない。それは、不幸を外側から解釈しようとする人間の感覚であり、その人間は本来的かつ絶対的に、不幸ではあり得ない。

 

 

 だからといって幸福とは何であるのかを知っている訳でもない。結果的に、何をどうすれば良いのか分からず右往左往する他ない。これを甞てのひとびとは三無主義と評したりするが、これはこれで辛いものだ。「陵」が「都」に対して「おれたちって、生まれてこのかたずっと、だだっぴろくて白っぽい野に投げだされているみたいだよね」と言っているが、この台詞もまた現代というものを余すところなく象っている。このぼんやりとしたどうしようもなさを如何にして乗り越えていくかを僕らの多くは知らない。ただ、その不可能性に充ちた方程式を破ろうとする意志、あるいはその方程式が自壊していく過程を描いてみせるこの小説は、そうした人びとにとってこそより感動的でエネルギッシュに響く。

 

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