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Project KALAVINKA

日常に眠っている「美」を千切り取ってゆく

パトリック・モディアノ『失われた時のカフェで』(平中悠一:訳)作品社

 

http://www.flickr.com/photos/31996670@N03/8514587660

photo by Madhya

 

 フランス文学の最尖端、パトリック・モディアノ。フランスの文学界にて異彩を放ちつづけてきた小説家の名を、ノーベル賞のニュースと共にわたしも知るようになる。そのときすぐに読んでみようとは思わなかったが、渋谷のブックファーストで翻訳書コーナーを眺めている折、プルーストを彷彿とさせる瀟洒なタイトルの小説が興味を惹いたのだった。著者の名にどこか覚えがあるのも不思議ではない。わたしはすぐに会計を済ませに急いだ。それにしても、フランス文学なんていつぶりだろうか。

 

Piano Concerto In G Major: II. Adagio Assai

Piano Concerto In G Major: II. Adagio Assai

 

 物語論の伝統 

 

 短編が合わさって構成されているが、特徴的なのはそれぞれの物語でナレーターが変遷してゆくところ。事象や人物に対するポイントが多元的で、ひとつの物語では暗部となってしまうところを少しずつ重ね塗りしてゆくその展開は、フローベールを思い出させる。モディアノの小説は本作以外読んだことがないが、確かにフランス文学の伝統に則っているように思えた。ゴンクール賞などを受賞して来たというのも頷ける。

 

失われた時のカフェで

失われた時のカフェで

 

 

 さびしさは万有引力

 

とにかく僕の記憶のなかでは、僕らはその晩、無人の街にいた。僕らのめぐり逢いは、いまにして思えば、人生になんの投錨地も持たないふたりの人間の出会いだったように思える。僕らはおたがい、この世界でひとりきりだったんだと僕は思う。

 

 物語は、ルキという名のひとりの女性を巡って回りつつ、戻りつつ、進んでゆく。掴みどころのない、「大都市の無名性」に消えゆくような儚い彼女の存在を、パリのどこかに探し求める人びとの記憶の連なり。大きく二つのベクトル、―どこかに確かな痕跡をとどめようとする試みとどこか不確かなもののなかへと飛び立っていこうとする試み、が人びとを巡り合わせては引き離す。後者のベクトルを代表するのがルキであり、彼女を追い求めるのがその他のナレーターである。全体としてミステリー調ではあるものの、最後まで「謎」は解き明かされない。寧ろ、絶望的なまでの「謎」が突き付けられて物語は唐突に幕を下ろしてしまう。この呆気なさもまた、フランス的と言っていいだろう。

 

 不安を携えて行くこと

 

 『失われた時のカフェで』という訳は、プルーストに似せてある程度加工しているところがある。それで大層うつくしい仕上がりとなっているので異論はないが、フランス語ではDans le café de la jeunesse perdueとなっており、直訳すれば「失われた若ものたちのカフェで」となる。確かに、物語の主軸を構成するルキとロランは、徹底的なまでに行き場を失っている。この心理自体はいつの世も若ものに憑いて回るようなものではあるが、モディアノのこの小説が圧倒的な印象を与えるのは、この物悲しい心理状況に沈んだ主人公たちに何らの解答も救済も与えていないところだ。

 

理解することなんてなにもないんだ……。だれかをほんとうに愛した時は、そのひとの謎も受け容れなくちゃいけない……。そのために僕らはそのひとを愛すんだ……。

 

 ポール・オースターのようにメタレベルの何かを志向することもなく、雁字搦めに陥るシンプルな終末だけがさらりと描かれる。ただモディアノは、上の引用からも分かるように、謎を解くのではなくそのまま受容することを仄めかしている。村上春樹が『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』にて、主人公に巡礼をさせて恋人との間柄を深めようとし向けるのとは大きく異なる文学的意図がそこにはある……。正直、記憶が曖昧なのでいつか再読したら追記でも書いてみたい。

 

 生滅滅已

 

標ない漠々たる空き地のように時おりみえるこの人生で、全ての消失線と失われた地平線の真ん中で、人はなんらかの目印を見出したいと希う。

 

 序盤にみられたこうした態度から物語は少しずつ動き出したはずだったが、最終的にまた空白に回帰してゆくストーリー。文中にも幾度となくニーチェの「永劫回帰」が象徴として現れるのも故あってのことだろう。モディアノの描いたパリの青春は、白くひかる記憶の底で失われた儘そこにある。

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