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Project KALAVINKA

日常に眠っている「美」を千切り取ってゆく

チューリヒ美術館展@国立新美術館

美術展

 

http://www.flickr.com/photos/8868875@N03/22052917398

photo by gato-gato-gato

 

 秋になると美術館に行きたくなる。アーカイブには去年の十一月も美術展に行った記録が残っている。それはいつも、ふとした衝動で始まる。家事を済ませた後、珈琲を飲みながらゆったりしていたとき、ふと六本木の「チューリヒ美術館展」のことを思い出した。特設サイトをよく調べると、モネの『睡蓮』が来ているらしい。これは行く価値がある。西に傾きつつある陽射しを浴びる、大層のんびりとした東上線に揺られて乃木坂に行く。メトロの暗い路線に入ってからは、iPodで聴く音楽がシューマンの第4交響曲に変った。

 

Pavane pour une infante défunte

Pavane pour une infante défunte

 

 愛想のない鑑賞

 

今は、もう感動はない。だから、感想が湧くのである。感動には、叫びはあるだろうが、言葉はない。ーパブロ・ピカソ

 

 それこそ学生の頃は、美術館に行くとものすごい集中力というか、前のめりになって一つひとつの絵画を観ていたと思う。けれども、最近は愛想がなくなった。備忘録や年代チェックのために出品リストを貰うことはあるが、パネルの解説を読むことはまずない。すべての絵画をしっかり観るということもまず在り得ない。それぞれのセクションの絵画を一度さらっと眺め、惹かれるものをじーっと観るだけ。これは恐らく東京の企画展が既視感に充ちているからだ。ホドラー展やキリコ展、ヴァロットン展があったと思うが、彼らの作品はここの美術展にも並んでいる。変わり映えがしないので、いつしか飽きてしまっても仕方がない。

 

 解釈に頼らない直感

 

 それでも中には「あア、いいな」と感じる絵画もある。モネの『睡蓮の池、夕暮れ』(1916/22)を始め、ホドラーの『日没のレマン湖』(1915)やヴァロットンの『日没、ヴィレルヴィル』(1917)、ヴラマンクの『シャトゥーの船遊び』(1907)、アウグスト・ジャコメッティの『色彩のファンタジー』(1914)などは素晴らしかった。ヴラマンクジャコメッティは詳しく知らない画家だったので、いい出逢いに感謝したい。ヴラマンクフォーヴィズムの激しい色彩感覚が全面に溢れ、波を厚塗りで描いていた。ドビュッシーもそうだが、当時のフランス芸術にépaisseur「厚さ(エぺスール)」を感じることが多い。

 

La Mer: I. De l'aube à midi sur la mer

La Mer: I. De l'aube à midi sur la mer

  

 絵を愛することの難しさ

 

人は私の作品について議論し、まるで理解する必要があるかのように理解したふりをする。私の作品はただ愛するだけでよいのに。ークロード・モネ

 

 さて、モネ、ホドラー、ヴァロットンについてはどれも日没が描かれたものが印象に残ったわけだが、これも故あってのことかも知れない。モネと言えば光り溢れるうつくしい絵画というイメージがあるが、彼は晩年になるとものすごい暗いトーンの絵画を描くことがあった。赤紫が特徴的な今回の『睡蓮』からも、純粋な美しさとは程遠い、何か哀切な動機さえ読み取れる。絵画を時代性から論じるのは粗野かも知れないが、私には第一次大戦を始めとした20世紀初頭の苦悩が、あの絵画に滲んでいるような気がした。ヴァロットンの描いた日没には、三島由紀夫の『奔馬』を想起させるようなところがあり、不思議と翳を感じさせる一枚だった。

 

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