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Project KALAVINKA

日常に眠っている「美」を千切り取ってゆく

銀座のとある喫茶店でマンデリンを味わいながら考えた

エッセー

 

http://www.flickr.com/photos/23458617@N00/21418205014

photo by Garret Voight

 

 情感ある小雨の夕方。銀座一丁目の喫茶店でとあるドイツ文学を読み終えて、ふとレトロってなんだろうと考えた。真空管アンプもあるようで、なんとも確かに「レトロ」という言葉が零れてくる店だったが、さてレトロとは何だと振り返るとよく分からない。感覚が真っ先に言語化されて仕舞ったようで、思考回路抜きの表現だった。有楽町線に乗っての帰り道、ブラームスの第4交響曲を聴きながら、厳つい表情を浮かべてこの「レトロ」について考えて居た。

   

  

 伝統美とは何か

 

 レトロ、retrospective、懐古趣味とも訳される言葉。大雑把に言ってしまえば、古いものに対して徒に愛着を感じることとでも言えるだろうか。だが、その店はこの意味に於いてレトロと評するといささか失礼だと思えた。ただ徒に古いものを愛でるというのなら、いくらでもあるだろう。レトロな喫茶店など東京に溢れている。だが、その店は比類ない美しさを湛えているように感じられた。単なるレトロを越えた何かがそこにはあると思う。とここまで考えて、マーラーのあるセリフを思い出してツイートしたのがこれだ。

 

 

 ことのほか好評だったようだ。まあ、その店には古臭さが微塵も感じられなかった。古い機械も置いてあったし、事実歴史の有る老舗だということだし、古さには枚挙に暇がない。けれども、それぞれが生き生きとしていて、そこにある理由がたしかにあることを雄弁に体現していた。もうひとつには清潔感があったから、古びた印象と無縁だったのだろう。大正ロマンだの、昭和モダンだの、言葉を与えることは想像以上に簡単なことだが、それを平成の現代に息づかせるか否か、ここが恐らく重要だ。

 

 博物館から離れて

 

 一方で、真新しくなりすぎると最早レトロではなくなってしまう。伝統美とは断絶されてしまう。そうなることなく命脈をしっかりと継承するのは一筋縄ではいかないのだろうと思う。そういう繊細な美学があの喫茶店には生きていた。恐らく、帰路にてブラームスの4番を聴いたのは、この楽曲が最もロマン主義的な音楽の一つであり、それゆえに現代に於いて演奏するのが大変難しいからだ。あのパトスを生き生きと表現するのは並大抵のことではないが、それを志向するオーケストラを求めてわたしはコンサートに通いつづける。答えは出ない。

 

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