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Project KALAVINKA

日常に眠っている「美」を千切り取ってゆく

パトリック・モディアノ『嫌なことは後まわし』(根岸純:訳)キノブックス

 

http://www.flickr.com/photos/80318369@N00/3025075433

photo by Thomas Claveirole

 

 モディアノの『失われた時のカフェで』を読了してから三カ月と経たない内に再び書店にて彼の翻訳に出逢った。どうやら絶版になっていたものが去年の受賞で復刊されたらしい。キンドルストアで検索してもみつからないので、書店のカウンターにて会計を済ました。大変短い小説で、飄々とした文体故かカフェで一時間ほどで読み終わってしまった。相変わらずの掴みどころのなさだが、一つ思うところがあるので書き残して置きたい。

 

How Long Has This Been Going On?

How Long Has This Been Going On?

      

 タイトルについて

 

 フランス文学らしい、アンニュイな感じが堪らない。邦訳では『嫌なことは後まわし』となっている。フランス語では"Remise de peine"で直訳すれば『恩赦』や『特赦』となる法律用語らしい。これについては訳者のあとがきを引かせていただこう。

 

モディアノは「恩赦」が示す意味のほかに、「精神的につらいことを延期する」ことを掛けて使っているのではないかと考え、思いきって意訳をしてみました。

 

嫌なことは後まわし

嫌なことは後まわし

 

 

 この部分が小説の根幹を言い表していると思う。両親の下を離れ、その知り合いの住いに居候しているぼくと弟の二人。周囲の大人の妖しい魅力溢れる仕草や言葉。時々深刻そうな表情を浮かべて話をしている彼らが握る謎への興味と恐怖。両親の行方。モディアノの小説に通底していると言われる「何かを探し求める」主人公像からこの小説も外れていない。だが、ぼくと弟のその冒険譚は一進一退で埒が明かない。唐突に訪れる結末に於いて、両親について訊ねられたぼくの返答が秀逸。

 

ややこし過ぎるのだ。「二人とも死にました」と、ぼくは彼に言った。

 

 空虚な探求の末に

 

 不可知論的というか、謎めいたものに対するある意味かなり鋭敏な姿勢が感じられる。一つひとつ、丁寧で綿密に何かを伝えようとするのはとても大変なことだ。ひとが生きていれば、記憶が重なってゆくにつれて読み返すことのないページが生まれるのは必然だろう。そういう秘かに抱え続けるほかない儚い癌のようなものの存在をモディアノは絶妙な筆致で描き出している。タイトルもそのことを雄弁に語っている。そして、そのことに思い至ったとき、『失われた時のカフェで』の一節をふと思い出した。

 

理解することなんてなにもないんだ……。だれかをほんとうに愛した時は、そのひとの謎も受け容れなくちゃいけない……。

 

 いやはや、パトリック・モディアノ、大変興味深い小説家だ。これからも事あるごとにその作品を熟読してゆければと思う。彼は事象を大した起伏なく描くので、ふわっとした理解でそのまま頁をめくってしまう。だが、彼の小説には核となる視座が隠れていることを実感した。掴みどころのない煙のような実体として人間像、そのどうしようもない希薄さと空虚さへの愛。それがモディアノの魅力かも知れない。

 

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