様式と転成

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パーヴォ・ヤルヴィ指揮N響:マーラー交響曲第1番「巨人」@NHKホール

 

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photo by Oli4.D

 

 二週間前の土曜日はたしか雨だったと思う。N響の来シーズンより主席指揮者に就任することになっているパーヴォ・ヤルヴィの指揮でマーラーを聴いて来た。当日購入したチケットにしては二階の比較的望ましい位置に座った。けれども、その音楽に心酔することは叶わなかった。ホールの聴衆は一方でものすごく熱狂していて、スタンディングオベーションもちらほらとあった。いまさらネガティブな内容を思い起すのもどうかと思うが、これからのN響にとって大切なコンサートに対し何を感じたかを書き残すことの意義も少なくないと考える。

 

  

 技法の艶やかさとは

 

 いまでもよく憶えているのは、極端にアゴーギクデュナーミクをかけていたこと。第一楽章の冒頭からしてものすごいピアニッシモだった。それぞれを抜き出して考えればとても魅力的だとは思うが、そうした技法的な香り付けが随所に織り込まれ過ぎた結果、シンフォニーから流暢さが失われていた。いやらしいと言ってもいいくらいな聴き辛さを感じたところもあった。弦楽のポルタメントの難しさをある意味再確認することになった。

 

 

 マーレリアンへの道

 

 と、つらつらと不平を零して恐縮だが、それでもわたしはマーラーの音楽性に大きな関心を持っている。6番のアンダンテ・モデラートや3番の最終楽章などはとくに好んで聴いている。彼の音楽の魅力はその原点に「歌」があると言われる。歌唱性が感じられるフレーズの美しさは奇跡的なものかも知れない。そしてまた、「復活」の第二楽章に顕著な「舞」の要素もマーラーらしさの一つと思っている。このどちらも生き生きとした流れの中でこそ耀きを放つ。録音ではいくつもそうした美学に感動してきたが、実演ではなかなか巡り合えない儘だ。

 

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