Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

Project KALAVINKA

日常に眠っている「美」を千切り取ってゆく

ベルトラン・ド・ビリー指揮都響:デュティユー交響曲第2番@東京文化会館

 

http://www.flickr.com/photos/75771006@N00/3747151397

photo by Camil Tulcan

 

 夏のように暑い日差しの落ちてくる日だった。からりとした大気にはどことなく懐かしさを覚える。もうカフェに入るとひたすらアイスコーヒーを頼むようになってきた。上野駅近くの上島珈琲店にてしばらく時間をつぶしてから、東京文化会館に入場。ベルトラン・ド・ビリーの指揮する都響を聴く。20世紀フランスを代表する作曲家デュティユーとドイツ・ロマン派の代表格ブラームス交響曲2番。デュティユーはそうそう聴く機会を得られないだろうから、都響の尖端的なプログラムには敬服するほかない。

 

 

 コンチェルトの次なる形

 

 デュティユーの交響曲第2番「ル・ドゥーブル」。オーケストラが来る前、座席の配置から楽曲の特徴を確認していた。クラブサンとチェレスタを加えた総12名による小管弦楽が指揮台を囲み、その周縁部に一般的なオーケストラが並んでいる。標題はフランス語で"le Double"「分身」という意味らしく、この大小二つの管弦楽が鏡写しのような相互関係を有していることを示唆する。この二項がどのように展開していくかがこの楽曲の真髄だと思った。第一楽章をしばらく聴いていると、不安定なメロディーと不気味なひびきがどことなくストラヴィンスキーを彷彿とさせた。

 

 未知なるオーケストレーション

 

 前衛的でわくわくするが、奈何せん一筋縄では感性が追いつかない。緩徐楽章に入ってから少しずつ慣れてきて、大小二つの管弦楽が統一したり離散したり、逆行したり屈折したりと、さまざまに変性して対話ともつかず響き合う様が聴こえるようになった。第3楽章後半のカルマートからは楽想が急変し恰も第4楽章があるようだった。この交響曲は、ヴィルトゥオーソを核にした伝統的な協奏曲とは異なる言語で語ろうとしているのだと思う。その可能性が楽曲の中でいくどとなく試行され、各楽章結尾の「疑問形」と呼ばれる不協和な弦楽で締めくくられる。

 

 洗練されたスケルツォ

 

 休憩後のブラームス2番は、多くの聴衆にとっても前半のデュティユーとは違って聴き馴染んだ楽曲。ロマン派と言うかなんというか、フレーズの伸びやかさや色艶のある旋律にははっとさせられた。この辺りは、プログラム構成によって錯覚に近い異化を体験させて貰ったと言える。ベルトラン・ド・ビリーの指揮は影のように薄く、決して派手な演出をしない。フランクフルトやバルセロナの歌劇場でのキャリアもあることからオペラティックな指揮を想像しすぎたが、基本的には譜面と楽団に委ねているようだった。それでもたとえば第3楽章になると、意図的に揺らしたり動かしたりしていた。最も舞踏的な様相がつよいこの楽章に個性を光らせる辺り、とても洒落ているなと感じた。

 

Remove all ads