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Project KALAVINKA

日常に眠っている「美」を千切り取ってゆく

ボルトン指揮モーツァルテウム管弦楽団:モーツァルト交響曲第41番『ジュピター』@ミューザ川崎シンフォニーホール

 

http://www.flickr.com/photos/99424193@N05/12353641374

photo by AudreyR.

 

 5月末とは思えないじりじりと照りつける陽射しを浴びながら、ミューザ川崎へ向かう。モーツァルトの生誕地、ザルツブルクにて活動しているモーツァルテウム管弦楽団で聴くモーツァルト。ある意味ウィーンフィルのそれよりも魅力的でさえあるが、これまで実演で聴く機会に恵まれなかった。かつてスダーンと東響による滋味溢れるジュピターで感動したこの場所で、再びこの偉大なる交響曲を聴くことができる幸せは何ものにも代えがたい。

 

 

 レトロな旋律と旅をする

 

  ハイドンの85番『王妃』交響曲でスタート。とても古い音楽ではあるが、どことなく清々しく心地よい。あの簡素なつくりのホルンが分かりやすい例だったが、実際古い楽器を使っているのだろう。弦楽がしっとりとした奇麗な音を出す一方で、管楽はとても素朴な音を響かせていた。この空気感がハイドンの音楽ととてもよく合っていた。図らずも18世紀的な古くシンプルな序奏だけで込み上げるものがあった。現代ではマーラーのような途轍もなく複雑で巨大な美学というものがあるが、ハイドンのこの時代にはそうしたものはなかった。現代を生きる者としてハイドンを聴くよろこびに、病床にて可憐な藤を見上げた子規のような儚さを感じてしまった。だがそれもしばらくすると治まり、軽快かつ典雅なハイドンの世界観に浸ってゆくことができた。

  

   

 なんだかもの悲しくなってしまい、続くピアノコンチェルトは休みつつ聴いていた。第一楽章の短調による主題は劇的でよい。ハイドンとは違ってよりいろいろな表情を奏でるオーケストラ、シュタットフェルトについては繊細なタッチの弱音が印象に残っている。ボルトンの指揮には独特の「間」があり、それは誇大なものではなくほんの少しの「間」ではあるが、曲想をよりチャーミングなものにしていた。

 

 悦びに充ちたシンフォニー

 

 そしていよいよジュピター交響曲。実は私はモーツァルトの後期交響曲がそれほど好きではない。深遠というか深刻なひびきが全体をどうしても暗いイメージにしているように思える。けれどもジュピター交響曲は最後をしっかり長調で輝かしく閉じてくれる。ボルトン指揮モーツァルテウムによる41番は、いままで聴いてきたなかでも随一のうつくしさだった。小編成な割にどのセクションもしっかりと鳴り、印象的な旋律はここぞとばかりに踊る。バイエルンやウィーン、マドリードなどの歌劇場で活躍してきたボルトンだからこその、アクティブな歌わせ方が光っていた。聴いていて何度笑みが零れたか分からない。軽快さ、深遠さ、流麗さ…、様々なモーツァルトによる美の祭典を堪能させていただいた。次々と楽想が移り変わり、そのどれもが後ろを向かない明るく肯定的なうつくしさを湛えている。ジュピター交響曲のすばらしさをここまで全身で体感したのは初めてかもしれない。

 

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