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Project KALAVINKA

日常に眠っている「美」を千切り取ってゆく

大植英次&東フィル:ブラームス交響曲第3, 4番@Bunkamuraオーチャードホール

 

http://www.flickr.com/photos/45372714@N07/7322138826

photo by kaniths

 

 ひさしぶりに並んで当日券を買った。大学生のころがいくらか懐かしいなと思いつつ、開場までのしばらくの間を松濤一丁目の珈琲店で休憩を挟んだ。陽光の気持ちいいうつくしい午後である。さてと、座席はコントラバス隊と向かい合う3階桟敷で大変眺めがよい。オール・ブラームス・プログラム。最愛のシンフォニーといわれても難しいが、敢えて言えばブラームスの4番だろうか。それくらいこの交響曲とは精神的に波長が近しい。このことを改めて認識したコンサートだった。

 

 

 自然は芸術を模倣する

 

 ブラームスの3番を聴くと、波と凪のイメージが思い浮かんでくる。抒情的なメロディーが人間的なあらゆる感情を曳航して大海原を駆けてゆく。指揮台に立つ大植英次氏の後ろ姿はさながらモーセのようだった。「海」の比喩から、三島由紀夫ジョゼフ・コンラッドの耀かしい描写を思い出し、バイロンの詩を耽読した日々の思い出に恍惚とした。第3楽章は秋の声がする。ブラームスが秋と結び付けられることが多いのもこの哀愁溢れる楽章によるところが多いのだろう。聴いているとホントに切ない表情にならざるをえない。ここでヴェルレーヌのあの詩を思い出さなかったのはいま考えれば不思議である。どれほど雄大な波となっても最後には和やかに凪いで閉じるところが、この交響曲を全体として優美な印象でつつみ込んでいる。

 

 

 一方でブラームスの4番は、それこそバイロン的と言うかなんと言うか、情熱的で破天荒である。イギリス詩になぞらえて正確を期すれば、3番はシェリー的で、4番はバイロン的と言えるだろうか。渓谷を下る激流のように容赦なく、変化を恐れず次々と衝突を繰り返す。3番を聴いているときには瑞々しく響いていたピッツィカートも最早熱湯のようにふつふつと滾っていた。第一楽章のアインザッツからして大植氏と東フィルの息づかいの深さがとても心地よかった。同楽章末尾ではあたかもフィナーレのように燃焼していて思わず笑みが零れた。中間楽章では瀞のようなシーンを挟みつつ、再び急流に回帰してゆく。私にとってこれほどまでに精神的に意味の有る音楽は二つとない。ブラームスの4番は浪漫主義の生きたモデルだとさえ考えるくらいだ。

 

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