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Project KALAVINKA

日常に眠っている「美」を千切り取ってゆく

森博嗣『イデアの影』中央公論新社

 

http://www.flickr.com/photos/63991153@N00/11468151604

photo by Hindrik S

 

 氏の小説は知と美のバランスがすばらしい。哲学的でありつつそれに偏向しすぎることなく、サテン生地のような綺麗なものを志向する姿勢を決して失うことがない。今回の小説も、うわさになっているくらいだが装丁が信じられないくらい美しい。鈴木成一デザイン室によるブックデザインという。一方でプラトン哲学を思い起こすタイトルによって全体に思想的な空気を漂わせている。正しさと美しさへの終わることなき禱りのような小説だった。とある個人的な思い出とも重なり合うところがあって、大切な一冊となった。

 

イデアの影

イデアの影

 

 

 言葉にすることの罪

 

 ひとは考えるにしてもコミュニケーションを図るにしても、第一に言語を必要とする。無秩序の状態から現象一つひとつに適切な言葉と定義を与えることで、意味を把握しようと必死になる。そうすることで現実にある一定の区切りをつけようとしているのだろうと思う、そうでないとたちまち正気を失ってしまうから。主人公は身の回りに唐突に連続して起こる不幸に対し幾度となく「なぜ」と問い掛ける。だがすぐに答えを掴むことはできず悩むしかない。自分の望みすらはっきりとしない。

 

黙っていれば、誰も傷つかない。自分の精神だけが、なんとかこれを包み込んで、ずっと守っていけば良い。それは、真珠貝のようなもの。少しずつ自分の体液で包んで、それを宝物のように仕舞っていれば良い。それで、苦しくなってもかまわない。むしろ、苦しむことが、自分の使命なのではないかとさえ思う。

 

 真実にはなかなかたどり着くことができない。正にそれはイデアの影にすぎない。いくら考えて言葉を尽くそうとしても、そこに生まれるのはイデアではなくその影にすぎない。主人公は現象を言語化してしまう(して「終う」)ことに軽々しさのようなものさえ感じている。それが純粋な真理ではないと知りつつも影や幻で納得しようとする姿勢に嫌気が差している。この病的な感覚が痛いほどよく分かった。書籍の帯で引用されている通り、「言葉がいらないことが、美しさと正しさを物語っている」のであって、その反対の行動をしている人間は美しくもなく正しくもない。

  

Symphony No. 3 in D Minor, WAB 103: II. Adagio - Bewegt - quasi Andante

Symphony No. 3 in D Minor, WAB 103: II. Adagio - Bewegt - quasi Andante

 

 粛然と生を遂行する

 

人の命は、神から借りているものだという。死ぬときに、それを返却する。けれども、生きている間に少しずつ返すというのは、実際の人生をよく映していると感じた。命というのは、あるかないかだけのものではない。ランプのように、明るく燈っているときもあれば、か弱く消えそうなときもあるだろう。ランプのオイルが人の寿命だとするなら、死に向かって減り続けるかわりに、炎や煙になって天に昇っていくのではないか。燃えることで、少しずつ命を削っているのだけれど、それは高く昇るための変換ともいえる。

 

 では、幻かどうかの区別もつかないこの世に生を授かった者は一体何だろうか。そこにどれほど確かな価値と言えるものがあるのだろうか・・・。命を神へ返す。何て途方もなく、清らかで静かな考え方だろう。でも、やわらかな純白色のこの考え方、どこか初めてでない感覚がある。すぐに、かつてある方よりいただいた書信に行き着く。「才能を持つ人間は、その分だけ天から「借り」があるのだと思います。ただ与えられた才能を磨き、さらに光輝かせることでしか、人は天への「借り」を返すことはできません。これから社会に出て、どういう形であれ、君がその「借り」を返してゆくであろうことを信じています」。襟を正す思いだけが深く刻まれてゆく心地がした。

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