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Project KALAVINKA

日常に眠っている「美」を千切り取ってゆく

カンブルラン指揮読響:マーラー交響曲第7番「夜の歌」@東京芸術劇場

クラシック

 

http://www.flickr.com/photos/30256745@N06/15730937693

photo by En Why

 

 かぐわしい春の陽気に照らされて自然が息づきだすような日だった。みなみ風が春の近いことを告げていくこの日に、マーラーの7番を聴くことができるのは何たる運命だろうかと思った。巨大な交響曲群を後世に残した大作曲家のシンフォニーの中でもとりわけあでやかなこの名曲。複雑怪奇なモチーフの連続に、聴衆としてそれなりの精神力と体力を要求される。心底楽しむことができたかというと幾らか疑問符が残るが、その場の感慨を書き残して次の機会に繋げてみたい。 

 

  

 うつくしく裁縫する指揮

 

  結論から言えば、第一楽章が最も印象に残っている。それが技術的な完成度によるものなのか、それとも第一楽章のテーマがそのときのわたしにとって最も切実に響いたという精神的なものなのか、それは定かではない。ただ、この楽章を聴いている時には、微笑を浮かべたり全神経を緊張させたりしながらオーケストラを聴くよろこびに浸っていた。マーラーの7番には矢鱈と奇妙で幻妖なイメージばかりを抱いていたのだが、カンブルランの指揮を聴いているとそうでもないような気がした。重量感はあるけれど決してにぶくものろくもない。フレーズやセクションの境界みたいなものが綺麗につなぎ合わされていく様は、「天衣無縫」という言葉を想起させるに十分だった。

 

 文学的イメージと共に

 

 第二楽章に入っても、イメージは次々と喚起されていく。これは本当にはじめての感覚だったから驚きながら聴いていたけれど、あの序奏部のいろいろな楽器がチャカチャカと囁き合うようなところが印象的だった。「夜曲」と称されていることもあるが、とても妖しくて不気味なひびきだった。ここを聴いていたとき、ふと鏡花の『高野聖』を思い出した。あの、蛭の垂れ落ちて来る気味の悪い山道を抜けていくシーンが脳裏に浮かんだ。第二楽章以降、一気に「陰」の要素をつよめていくこの交響曲においても、この部分が一種の通過儀礼のようなシステムとして機能しているように感じた。

 

 

 ただ遺憾ながら、それ以降少しずつ演奏が心に染み入ってこなくなった侭に終演を迎えたのだった。どこか噛み合っていない様な、変な違和感のようなものが最後まで拭い切れなかった。しかし、矢張りオーケストラはいい。あの舞台上に並べられる、ブラウン、ブラック、ホワイト、ゴールドの華麗なる色彩的調和は、わたしにとって涙ぐましき九鼎に他ならない。それだけで、二階最前列に席を買う懐事情は是が非でも死守したくなる。

 

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