様式と転成

Words without thoughts never to heaven go.

はじめに言葉ありき。

 

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photo by Rodrigo Soldon 2

 

 キャリアデザインに関する書籍を読み耽っていて、いろいろと来し方について書いてみようと思った。人並みではあるけれど、大学入学に至るプロセスは壮大な物語だった。就職と、それから転職に至るまでのプロセスもまた広大な物語だった。どちらも小説的に記せそうなほど凝縮された素敵な時間だったと思う。けれどもわたしは、散文よりも韻文を愛するので、そうした物語の動機を探ることにより興味を抱く。結果として、一つの詩的な素材に辿り着いた。これについて書くのは、ほとんど自分自身の根幹を明かすような近代的でエゴイスティックで少々危うい真似になるだろう。 

 

Symphony No. 9 (From the New World), Op. 95 in E Minor: Scherzo: Molto vivace

Symphony No. 9 (From the New World), Op. 95 in E Minor: Scherzo: Molto vivace

           

 価値は後天的に創られる

 

 このブログの著者名として使っている「アオイ」という名前は、実はわたしの正真正銘の実名だ。少年のころのわたしは、それはそれはこの名にいろいろ思い悩むことがあった。おそらくわたしが少しでも思慮深いというのならそれはこの名のせいだろう。周囲がようやく思春期を迎えてアイデンティティーについて悩みだすずっと前に、わたしは己自身を客観的に考えることを要求された。それは遊びでもなんでもなく、少年なりの生存をかけた哲学的な事案だった。というのは流石に大袈裟かもしれないが、当時から事ある毎にわたしはこの名について反芻してきた。そしてこの名こそが総じて諸々の思考や判断の根幹にある価値観になっていることにあるとき気づいた。

 

D'où Venons Nous Que Sommes Nous Où Allons Nous.

 

 漢字一文字で綺麗な、花に与えられた名。幼少期に「ヒマワリのように太陽を向いてすくすく育って欲しいからこの名にした」ということを知った。それが本当なのかどうか、それは定かではないし、糺そうとも思わない。わたしにとって、わたしの名にそのような意味が眠っているということだけで十分だった。きっと次の瞬間からはもう、そのようにして生きていくんだ、そうしないといけないんだと思い始めていた。元々元気で明るい子だったけれど、どうにでもなってよい天性が揺らいではならない使命のようなものに成った。捨て身だろうが何だろうがこの人生を生き抜いてみよう、という信念に於いてはそうそう負ける気がしない、そういう人間が構築されていった。

 

 無形財としての人名

 

 この名はわたしにとって、恐らくわたしが持っている何よりも大切な財産のようなものだと思う。相続も譲渡も叶わない、両親が授けてくれた揺るぎない資産、わたしの死と共に消えてゆくわたしだけの潤沢なる不動産。この感覚は、わたしを苦悩の中に在って照らし続けた。これからも、わたしはこの名に無言の訓令を受けながら進んでゆくのだろう。よく、人生は旅に喩えられる。わたしはいつも違和感を抱く。旅には普通、帰り道というのがあるが、人生には帰り道などないからだ。願わくは常に前進と上昇をつづけ、うつくしき螺旋を描いていきたい。その名の示す光りの方へ。

  

はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。言葉は神と共にあった。万物は言葉によって成り、言葉によらず成ったものはひとつもなかった。言葉の内に命があり、命は人を照らす光であった。その光は闇の中で輝き、闇が光に打ち勝つことはなかった。

 

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