Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

Project KALAVINKA

日常に眠っている「美」を千切り取ってゆく

パトリック・モディアノ『迷子たちの街』(平中悠一:訳)作品社

人文学

 

http://www.flickr.com/photos/74315390@N00/15702093501

photo by Amelien (Fr)

 

 モディアノの小説としてはこれで4つ読んだことになる。毎回のようにいいなと思う。解析すればそれこそ豊饒な要素がいくつもあるのだろう。けれどわたしは、そういう理解とは縁をすっぱりと切って読むことにした。そういう知力はもう後退してしまった。再読によって構造理解が進み、味読することも叶うのだろう。けれどわたしは、それよりもずっとモディアノの小説が象るひときわ美しい詩情を掬い上げていきたい。それくらい本当に、彼の視ている世界は貴く眩いひかりを放っている。

 

 

 主人公のジャン・デケールは、いつものモディアノ小説がそうであるように、かつての、未解決のままになった謎を解くためにそこにいる。すでに契約の切れてしまった電話番号、日暮れの一瞬と抱き合わせになった衝撃的な女性との出逢い。思い出されていくすべてが、美しい悲しさを纏っている。囚われてしまう程に魅惑的な在りし日の真実を探しに。

 

 詩的階層の妙技

 

 結局のところ、僕はだれかを待っていた。広場の反対側で、小庭の柵は雨の下、つややかに輝いていた。この時間、彼女は恐らく目覚めていたかもしれなかった。何歩か歩き入り口のドアの呼び鈴を鳴らすだけでよかった。だが僕はもう少しだけ僕の人生を宙ぶらりんに中断しておきたかった。このカフェのテラスで、会話のざわめきの中、雨がガラスに歩道に反射する光の中。僕は夜が降りるのを待った。そして灯りがともるのを。長い間このテーブルに、麻痺したように留まっていたかもしれなかったと思う。もしギャルソンがもう一度僕のほうへ身をかがめなかったら。

「まだどなたかお待ちですか?」

 その声にはとても皮肉がこもっていたので僕は立ちあがった。

 

 とても詩的で印象に残っている場面。「何をしているのか」という問いのとらえ方がギャルソンと主人公とでズレている。それだけ主人公が非現実的な時間の流れの中で彷徨っていることが焙り出される。そしてまた、主人公の内的葛藤も余さず描かれている。何かを探す道すがらの途惑い。掴もうと思えばすぐそこまで来ているのにそこまで来ると案外躊躇ってしまうこともある。この二層の乖離を、カフェテラスの外の雨と光が情緒的に包み込んでいるのがせめてもの救いだ。

 

 軽妙かつ真摯であること

 

 人は自分に人生の目的を与えなくちゃいけない。さもないと……。僕は彼のことばを上の空に聞いていた。僕のその時の歳では、アドヴァイスなんか無駄だったし、それにアドヴァイスをする人たちが、実に空しいことばを発しているように思えるものだ。

 人生の、目的……。あの夜、空気は温かく、シャン‐ゼリゼのアヴェニューは輝いていた。もうあれ以来、決してないほどに。そしてさらに下った公園では、マロニエの花が散り、僕の肩へと降っていた。

 

 この場面でも、「彼」と「僕」の言語レベルの乖離が描かれている。「人生」ってことばはこれほど瀟洒に語り得るものなのか。内的な苦悩はそこまで現れていないが、かつての物事への解釈をいま再び整理しようとしている様が描かれている。あの時の、あの言葉を思い出す瞬間、そしてかつての情景に消えていく。これはとても文学的な処理だと思う。映像化しようにもほとんど不可能だろう。ここしばらく何か月かの間、いわゆる文学的なものと少々縁遠い生活を送っていたからだろう、文学ってすごい。

 

迷子たちの街

迷子たちの街

 

 

Remove all ads