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Project KALAVINKA

日常に眠っている「美」を千切り取ってゆく

印象を呼び起こさないメロディーに感情だけが曳航されていく

 

http://www.flickr.com/photos/84272941@N00/7616154964

photo by Andy Magee

 

ピッツィカートは河の流れを想起させる。バイオリンのすっとした清流が辺りを渓谷に変える。せせらぎが聴こえてくるような、あるいはその逆の現象。芸術と自然が交錯する。芸術は自然を模倣し、自然は芸術を模倣し続ける。芸術が比喩的に解釈される限りにおいて、芸術はたしかに自然と緊張感を保って交流している。あたかも瀞のようにゆったりとおおらかにしている。比喩の向こう岸にある美的感覚は身体的にも直感できるし身に覚えがあるから不安がない。だが、比喩を越えて、自然との接触を離れて、芸術がスタンドアローンになる瞬間が訪れる。そうするともう理解とか解釈とか言う次元はほとんど意味を持たない。次々と生成され運動展開しては消失していくメロディーを浴びるように聴き続ける。それだけなのにうつくしいとか楽しいとかそういう感情は矢張り湧き起ってくる。一体なにに対して何を根拠にそう感じているのか。感覚の領域の方が器が深く広く、理知の世界はそのひと部分しか表すことができないのだろうか。僕らのことばは常に後追いでしか存立し得ないのだろうか。

 

@渋谷オーチャードホール
ロベルト・トレヴィーノ指揮N響ブラームス2番を聴いて。

 

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