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Project KALAVINKA

日常に眠っている「美」を千切り取ってゆく

希望が、正に希望であるが故にできないことがひとつある。

 

Untitled 2011 3.11→2014 3.11

 

ターキッシュコーヒーというのがある。珍しいのは名だけではない。通常、珈琲を淹れるときはコーヒー豆を挽いた粉がそのままカップに移らないように濾す工程がある。しかし、ターキッシュコーヒーにはその工程がない。注がれた珈琲を一端そのまま置いて沈殿するのを待つ。そしてしばらく経ってから上澄みの部分をだけをいただく。カップの下層には苦いコーヒーの残り滓がたしかに在る…。悲しみや喪失のような負の感情を動機とした芸術作品が時として清々しく神々しいことがある。それは、作品を創った者が丁寧に濾過を行ったからに他ならない。それは確かにひとつの美と言える。一方で、重く苦く伏せて置きたい悲しみの情景をそのまま提示するタイプの作品もある。たとえば、想像し共感することの不可能性。すべてを知ることができなくても、分からないことがあっても、想像することで繋がることができる。とは言え想像とは線描に過ぎず、方向性が異なれば二つの線はズレていくしかない。希望が線を引くように、絶望もまた線を引く。希望は希望で、絶望と同程度に内的な衝動によって、身勝手な線を描いて逃走する。この状況に於いて、想像は残酷なまでに無力な存在と化す。

 

@横浜シネマリン

 

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